東京都同情塔:テキスト生成AIブームにふさわしい芥川賞受賞作

『東京都同情塔』は第170回芥川賞受賞作品で、「ChatGPTを駆使して書かれた」と話題になっていてたので気になって読みました。

この記事はあらすじに含まれないストーリーについて言及しています。

あらすじ

日本人の欺瞞をユーモラスに描いた現代版「バベルの塔」 ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながらパワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と、実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書

感想

メディアでは権威ある文学賞までもAIにハックされたと技術の発展を煽るような論調でしたが、私の印象では「文学界までAIブームに乗ってきた」というものでした。

作中の世界の重要なこととして対話型AIに人々が重度に依存しているのですが、その部分にはあまり宣伝で触れられていません

私も「生成AI時代の預言の書」という部分にまんまと釣られたということです

物語は2026年の架空の東京都を舞台にしていていわゆるパラレルワールドになっています。

実際のザハ・ハディドの国立競技場の初期案は、最終的には採用されませんでした。

巨大建築の建設は覆るのは不可能なので、この世界は訪ずれることのありえない現実というのを表わしていると感じます

作中には新型コロナに関する具体的な記述はないものの、パンデミック自体は起こっていて、さらにこの世界では東京オリピックは延期せず強行されたことになっています

この実際の歴史との誤差が結構絶妙で、私が掘り下げたい部分です

まず文章(テキスト)生成AIという用語を使っていなく「文章構築AI」と一貫しているのは意図的だと思います

新たな作品を生成しているのではなく既存の価値観を他者を傷つけないよう中立的に組み立て、構築している。という表現と建築のメタファーだと思いました

朝日新聞デジタルの取材記事にもこの設定の背景が出てきます(有料記事なので中身には触れません)

全体的にAIの構築する文章に社会が依存しつつもそれを好ましく思ってないような記述が多いです

作中で「AIネイティブな世代」の青年として描かれている人物はAI使って文章を書くことを批判的に捉えています

彼女の積み上げる言葉が何かに似ているような気がして記憶を辿ると、それがAIの構築する文章であることに思い当たった。いかにも世の中の人々の平均的な望みを集約させた、かつ批判を最小限に留める模範的回答。平和。平等。尊厳。尊重。共感。共生。質問したそばからスクロールを促してくるせっかちな文字が脳裏に浮かぶ。彼らがポジティヴで貧乏な言葉をまくし立てる様を一度イメージしてしまうと、いくら彼女の声がしていても、すべてがAI-builtの言葉としてしか聞こえなくなった。そしてなぜか僕は、文章構築AIに対しての憐みのようなものを覚えていた。かわいそうだ、と思っていた。他人の言葉を継ぎ接ぎしてつくる文章が何を意味し、誰に伝わっているかも知らないまま、お仕着せの文字をひたすら並べ続けなければいけない人生というのは、とても空虚で苦しいものなんじゃないかと同情したのだ。けれどもちろんAIには、苦しみも喜びも人生もなく、傷付くこともないのだから、別に意味のない同情だ。人間だからといって誰しもが難なく言葉を扱えるというのでもないけれど、少なくとも人間は喋りたくないときには黙ることができる。

なので犯罪者の身の上に共感して新宿御苑側のタワーマンション機能を持つ刑務所で手厚く保護する先鋭化した「訪ずれない世界」で文章構築AIが支配的な影響を持つことで逆説的に現在の未来はそうならないことを望んでいるように思います

以下は著者の会見の発言です

この作品は、言葉で何かを解決しよう、言葉で対話をするということを、あきらめたくないと思っている方のために書いた作品と思っています。言葉で解決できないことというのは、何によっても絶対に解決できないと私自身は考えております。

「言葉による解決、あきらめたくない」芥川賞の九段理江さん会見 - 産経ニュース