『令和元年の人生ゲーム』は2024年2月に文藝春秋から発売された小説で第171回直木賞の候補作。
著者の麻布競馬場はTwitterの有名人らしいが私はクラスタが違うのか一度も見たことはなかった。
Twitter上で投稿された小作品は「タワマン文学」などと呼ばれる。主に高級タワーマンションに住む人々の生活の悲哀や葛藤を描く。表面的には成功した生活を送っているように見える人々が、内心では虚無感や劣等感を抱えているという筋書き。
本作の評判だけ聞いて京大生の文化を書くような小説があるけどそれの慶應版かぐらいに予想していた。
この作品は、「Z世代」の若者たちのリアルな姿を描いた群像劇という説明がされているが著者は1991年に生まれでミレニアル世代に分類される。
インタビューによると毎夜港区界隈を飲み歩き、Z世代たちと交流することで得た話を創作に活かしているという。ほな『東京都北区赤羽』かぁ…
著者いわく我々現役世代の平成の競争社会を生き抜いてきた世代にとって成功の象徴だった"タワーマンション"への憧れのような価値観を、Z世代の若者たちは共有していないことに注目したという。
私自身はZ世代との繋がりはなく何も共感できてないのでTogetterまとめで見かけるN=1伝聞ストーリーのような気分で読んでいた。意識高い系の前提条件として家柄や育ちの良さがあり、それが私の人間関係と繋がりがないことの表れになっているのかもしれない。
本作は4つの章に分かれておりそれぞれの話で観測者になる語り手が変わる。語り手は名前のない参加者として物語に存在するが、全編にわたって沼田というキーパーソンが出てきて全ての話に関与する。各章は数年の空白期間がありその間に沼田の性格や立場がガラっと変わっている。
あらすじに載っている「クビにならない最低限の仕事をして、毎日定時で上がって、そうですね、皇居ランでもしたいと思ってます」というセリフは沼田が就活で人材大手ベンチャーの面接で言った言葉で第2話のもの。
第1話時点では沼田はビジコンサークルで起業家志望の新人にリーダーの座を奪われ、皮肉な評論家となってしまった大学生として描かれている。
語り手は新入生としてそのサークルに参加した1年生で、そんな沼田や起業家の卵の言動を分析して心の中で評価する。
このように他人を自分の想像の中で分析して評価し続ける文体がこの作品の特徴で常に登場人物たちが自意識バトルを仕掛ける。
途中まで読んでいた段階でこれは私の周りのはてな民は嫌いだろうなと感じたのだけど、検索してみたら案の定めっちゃ嫌われていた。一昔前のはてなグループ「モヒカン族」の活動がちょうどこういう扱いを受けていたのを思い出した*1。
先のとうり第2話では沼田が堂々と社内ニート宣言する空気を読まない変人に変化しているのだけど、こういう性格の人物はWeb業界にしばしばいる。一昔前のこの業界は現在のように人材の需要と供給のバランスが崩れていた上に共同作業の機会も少なかったので、社会性のないオタクでも潜り込みやすかったのだ。かくゆう私自身がそうであるし、ちょっと言動も沼田と似てる。
第3話では若者の集まるシェアハウスに社会人のチューターとして沼田が存在する。「若者に教えることなど何もない」とのたまう沼田だが、同居は了承する。
ここで注目したいのは沼田が大学生時代から全編にわたって「飲み会に全参加する人物である」という描写があることで。仕事や恋愛や他人のことはどうでもいいという言動と、つながりを常に求めている仕草が描かれていない場面にあるのが面白い。
最後の第4話では沼田に重大な変化が起き、飲み会に来なくなる場面がある。この後の第4話は今までストーリーの全てを総括するようなメタファーが展開されるので是非直接確認して欲しい。