正欲(新潮文庫)は平成生まれの直木賞作家・朝井リョウの多様性を尊重する時代の不都合な側面を描く作品。
本作の構成はパズルのように展開していく。何者かの独白、週刊誌の記事、偶像劇めいた日常。そして、後半に真実が明らかになり最後に一枚の絵になる。
「好きなことで生きていく」。かつて、そんな謳い文句のYouTube広告があったのを覚えている。だが、もしもその「好きなこと」が、世間から逸脱したものだったら?反社会的な衝動だったら?そんな疑問が、私の脳裏をよぎったことがある。
『正欲』にも、不登校YouTuberに影響されて動画制作活動を始める子供たちとその家族が登場する(余談だが現実の有名不登校Youtuberが学校に戻るのは本作が出版された後のこと)
登場人物たちは、マイノリティ(性的少数派)とマジョリティ、そしてマイノリティを受け入れる立場という、緊張感に満ちた三すくみの関係性の中に置かれている。
多数派の想像する性的少数派。作中では、そのステレオタイプをそのまま描くのではなく、「水フェチ」という特異な嗜好を介して表現している。水フェチの概念は文章で説明されれば、誰でも容易に想像でき、細部を深掘りして、読者が邪推する余地はほとんどない。これが、記号的に実に想像しえない性的少数派を表していて巧妙だと思った。何に興奮するかというのが本筋ではなく読者が初見で想像できない嗜好があるというのが重要なのだ。
水に性的興奮を覚える登場人物たちは、社会的に無害ではあるが、その一方で、彼らは異性愛や同性愛といった「正しさ」を持たないがゆえに、社会から孤立していく。
物語終盤、孤立していた者たちは、ある出来事を契機に互いにつながり始める。しかし、その結果として巻き起こる事件によって、彼らはさらに社会から排除されていく。しかし皮肉なことに、その過程で、彼らの間の絆はより強固なものになっていく。
この背景に冒頭の独白の語り手である主人公は、正しく性欲を持つ人々の行動を、「明日生きていたい人」の生存本能と不安に基づく原理だと理解する。それと対照的な正しくない自分たちは、今日死にたいと願っている。しかし、互いのつながりによって「死なない」という意思を強固にすることで、自分たちの欲を「正しいもの」へと変えていく。そんな成長も感じられるのが本作のメッセージの明部に思えた。
一つだけ引っかかる点がある。登場人物たちは皆、水フェチの性的要求を満たす映像を、自分一人で作ることはできないと主張している。なので、過疎のYouTubeチャンネルにコメントを残し、投稿者に水動画を作ってもらうという行動には、どうにも合点がいかなかった。そんなことある???? 映画化されているらしいので、そちらを観れば、マジもんの水噴出映像が入手できて、謎が解けるのだろう。