2000年代ぐらいにblosxomやtDiaryで熱心にWebに何かテキストを書いていたような人たちは特定の価値観を持っているなと思う。
それがどういうものなのかはすぐ説明できないし、単に特定の人たちのことを指しているのかもしれない。ただ、丁寧に閲覧履歴を見ていけば100人ぐらいは該当するサイト管理人が思い浮べられそうだ。
現在は個人が動画で発信する時代なので、僕の思うこの感覚は次の世代では動画に特別な感情を持ちがちという解釈になっているのかもしれない。
Message Passing
このサイトに辿りつくような人たちはプログラム雑談ポッドキャストの188回以降のエピソードのWebに何かテキストを書くことについての話は共感できるのだと思う。
Message Passingというのは以下のサイトのことで、ガー社とかファー社とかで就労経験のあるような日米のプログラマーかつ、元々Webで何かテキストを書いていた仲の良い人たち同士で寄稿して運営されていた。
Webに何かテキストを書くことを一旦ブログと呼ぶが、このMessage Passingの話の中で「ブログを書くにはSNSに投稿する時とは別の能力が必要で、それは筋力のように使ってないと衰えるのではないか」という説が出てくる。これは頷ける部分があるので僕も意識するようにした。
ブログを熱心に書いていた書き手がフェードアウトしてしまう問題については、家庭や職場環境が変化すると活動にさける時間が変わるのかも——というのは一般的に言われてもいるしそのとうりだと思うけど、自分としてはブログを書いて得ていた体験が、社内やクローズドな環境で起こる別の行動によって満されてている、という状況があると思っている。
技術的な話題のできる同僚に恵まれていないとあるプログラマーが、別の職場へ転職したら自分と同じような話が合う人が回りに増えたので、わざわざ外に向って発言する必要がなくなった。とかを想像すると分かりやすい。
ただ生活や環境が変わって書く習慣がなくなる人は次の周期で戻ってもくる、という実感があるのであまり問題視してない(自分が数年おきに繰替えしている行動を見るにそうというのもある)。
それよりは最近は第三者の反応によって書くことに白けてしまい習慣がなくなるという例が結構あって深刻というか残念だなと思う。