宮本さん(九十九式)の「なっち復帰会見」という記事を、とある孫ニュースサイトが落とし所をそのままタイトルに使用したことで「へこー」の話を読んで、徳保さん(趣味のWebデザイン)は「しかし、一流のニュースサイト管理人のタイトル改変のセンスは素晴らしい」と感じた、というやりとり。を更に読んだ私の感想を書くとします。
実体験からサイト語りをはじめてみる
うちの弱小サイトの場合は、ニュースサイトからリンクされることは極めて稀なんですけど、昨年「恥ずかしいエントリを投稿してしまった時の対処法」という記事を書いたときに「ネタが思い浮かばないときはこうさぎを活用しよう
」と紹介してもらっているサイトがありまして、嬉しかったんですけど私的に「ずこー」っとなりました。オチを先に言われてしまうという、宮本さんのケース同じですかね。まぁ、記事を見た後の視点と、見る前の視点との入れ違いでこういう「とほほ」は起きてしまうわけですが、逆に上手く改変してもらったこともありました。
先月「趣味の「出オチ系映画」コレクション(注:18禁)」という記事を書いた(と言うより貼り付けた)のですが、これはタイトルを見ただけでは何の記事かサッパリ判りません。自分でもよく分かりません。「出オチ系映画」なんてその場で作った造語ですし。ところがこれを他サイトで取りあげて頂いて、blogmapの詳細情報なんかを見てもらえれば分かりやすいんですが、「出オチ系映画」という言葉はどこかに消え去り「エロパロ映画集」と非常にそのものを示すタイトルに変えてもらっています。まぁ私がはじめから「エロパロ映画集」と(漢らしく)書けば良かったのですが、記事自体がいろいろなラインにひっかかりまくっている事もあって、他サイトで取りあげてもらう事なんかは全く想定せずにいたものですからよく考えていませんでした。
話を元に戻すと
今回の件では、宮本さんの「なっち復帰会見=なっちはデスノート所有者かも」の記事を徳保さんは「いかにして探偵は犯人にたどりつくか=倒叙もの
」としてみた場合の楽しみを挙げられています。これにはなるほど、と思いました。事前に結末を知った上で*1「デスノート」と「なっちの記者会見」がどう繋がっていくのかと読み進める。そういう見方も良いかもしれません。私も、この楽しみ方があるからこそ、「ネタバレ」の類をあまり嫌っていなかったりします。とはいえこの楽しみ方は主流ではないですし、推理小説における「結末」と、小話における「オチ」は別物のような気がします。「そういうのもあり、か」程度の認識です。ここの辺に気の利いた改変タイトルを当てはめられるニュースサイト管理人はやはりひと味違う、と思いますし尊敬します。
所で
徳保さんの「凡人のブログはみな私のつけたタイトルをそのまま使うことが多い
」という指摘ですが。「記事タイトルを改変しない」という選択は、取りあげた記事の著者である方に、ある程度敬意示しているからだと私は思っています。それと、閲覧者が見て分かりやすいか、のバランスを考えるのもやっぱり難しかったりしますね。
*1:「かも」とぼかしてありますが